年末のご挨拶に代えて

本年9回目の更新。
SNSの隆盛に伴って、私のような「素人ブログ」はめっきり下火になってきた。もっとも、SNSにしてみてもすでにその勢いに陰りが見えてきているように思うのだが。
年の瀬に今年を振り返る・・・のも芸がない。
そこで「年末年始休暇にお勧め」の「野球小説」をふたつ紹介し、今年の〆とします。
『イエローサブマリン』(山際淳司著/小学館文庫1998年・絶版)
イエローサブマリン
私が大学に入学した年に創刊された雑誌で印象に残るものが二つある。(当時は毎年、いや毎月何冊かの雑誌が創刊されていたのだが)
『ビッグコミックスピリッツ』と『スポーツグラフィックNumber』だ。
前者の創刊号には高橋留美子の「めぞん一刻」が、そして、米国の「スポーツイラストレイテッド」誌を意識したという後者の創刊号には、山際淳司なるライターによる「江夏の21球」が掲載されていた。
何度か触れたことがあるが、この「21球」はその後の日本におけるスポーツを題材としたノンフィクションに多大な影響を与えた。いや、この作品によって新しいジャンルが生まれたといって過言ではない記念碑的な一作だ。
1995年5月に肝不全でこの世を去った著者が、92年8月から93年3月まで産経新聞に連載した、彼としては珍しい長編小説。
日本球界ではさして実績のない一人の少年が、単身アメリカでプロ野球、そしてその頂点であるメジャーへ挑戦する姿を描く。
時代背景は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされたバブル期の1988年からその崩壊があらわになった91年にかけて。
テーマは一言で表せば「父と息子」だ。ジャパンマネーを背景に、メジャー球団、具体的にはレッドソックスの買収に商社のサラリーマンとしてビジネスに取り組む父。離婚した後、距離をとり連絡もしていなかった息子がアメリカでマイナー球団に在籍しているのを知り・・・。
作者は、自らの在米体験も含め、ベースボールという文化が根ざすアメリカの風土を日本のそれと対比させる。そして私には、マネーゲームに敗れた日本人がその後どのようなスタイルで生きていくか、「変化」を示唆しているようにも思えた。もっともその後日本は「変わる」のではなく「過去の栄光と夢の再来」を求め、失われた時代を彷徨うことになったが。
1995年は、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件など一連のオウム真理教の事件によって神話の終焉が告げられた年だった。
だが、山際が没した5月29日に先立つ5月2日、村上雅則に次ぐ2人目の日本人メジャーリーガーとして野茂英雄がドジャーズのマウンドに上がった。
好投しながらなかなか勝ち星に恵まれなかったが、山際の死の4日後である6月2日、初勝利をあげ、この月、野茂はピッチャー・オブ・ザ・マンスを獲得する。そしてオールスターの先発マウンドへ。
フィクションを現実が追い越していく。野茂はこの小説を読んでいただろうか?
絶版となっているが、Amazonなどで古本が比較的安価に入手可
『黄金の時』(堂場瞬一著/文藝春秋社2015年)
黄金の時
売れっ子作家(陳腐な表現!)としてスポーツを題材とした作品も多く手掛けている堂場瞬一による95作目。そしてこの作品も昨年(2014年)「Number」に連載されていたものだ。
『イエローサブマリン』がバブルの絶頂とその終焉を時代背景としているのに対し、こちらは1963年、東京五輪の前年にして日本人初メジャーリーガーが誕生する前年が舞台だ。つまり高度経済成長が始まる頃、アメリカのマイナーリーグに在籍した少年と父、そして少年の子ども三代に亘る「父と息子」の物語。
著者本人、あるいは編集者に、山際と『イエローサブマリン』へのオマージュがあったのかどうかは分からないが、私の中ではどうしても二作が結びついて解釈される。
この作品においても、華々しいメジャーを草の根で支える、奥深いアメリカンベースボールの世界にどっぷり浸ることができる。そして、冷戦下とはいえアメリカがベトナム戦争への本格参戦前夜、ケネディ大統領暗殺(1963年11月22日)直前までの3ヵ月(作品は全くそのことに触れないが)というこの作品背景は、まさにアメリカにとって「黄金の時」のベースボールを描いたものとなっている。
流石に手慣れた文体で、一気に読み終えることができる一冊だ。
全国書店にて絶賛?発売中。ただし1650円+税。お年玉で
では良いお年を。
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10.30観戦雑感

なんだかんだ言ってドームに足を運んだのは今季2回目なのだから偉そうなことは言えない。
でも「なんだかんだ」いうわけだ。

門司港に住む私の姉が最近野球に目覚め、チケットを確保していたのだが(平日の昼間受付でなぜとれたのかは不明。ちなみに姉は教員をしている)、予定していたツレが都合で行けなくなったので誘われた。

姉は下の子も大学に入り、お姑さんも高齢だが元気。
旦那は手のかからない人で、要するに時間も多少の余裕もあるおばさんがのめりこみつつあるわけだ。
娘に付き合ってジャニーズのコンサートにも行くが、本心は年齢的にノリについていけてないに違いない・・・

姉は柳田のタオルを持っていた。
ファンクラブにも入会したそうだ。
玄人ぽく?素で観戦する私に
「チケットとれんで来たくても来れなかった人に申し訳ないやろ!」と予備のメガホンを押し付けるので
仕方なく私も「ここで!決めろ!」などとメガホンを手に中途半端な挙動をする羽目になった。

素晴らしい。
ざっと周りを見渡しても、カップル、家族連れ、職場グループ?
女性比率が非常に高い。それぞれが声を枯らして応援している。
単なるミーハーでなく、野球のツボを押さえて。


29年前、私は阪神タイガースのファンだった。
熱狂的だったかどうかはわからないが(トラ党の場合『熱狂的』のハードルがやや高い)
高校の卒業文集的なものに「男の子が生まれたら虎勝と名付ける」という意味のことを書いていたくらいだから
熱心なファンだったことは間違いないと思う。

1985年当時はライオンズは所沢に去った後で、いろんな球団が平和台へ試合に訪れていた。
5月のヤクルト戦、8月の中日戦ともに足を運んだ。
8月の時は身重の妻を伴い、お腹の中の子に真弓やバースや掛布や岡田の雄姿を「胎教」するつもりで出かけた。

10月16日に優勝し、11月の頭に日本シリーズも制し、そして11月中旬に子どもが生まれた。

子どもは女の子だった。虎子はさすがにためらわれ、「次に優勝するのは”はるか”先のことかなぁ?」という思いを胸に『はるか』と名付けた。

あの年の阪神ファンの熱狂ぶりはすさまじかった。
甲子園にジェット風船が飛び交い、六甲おろしが全国を席巻した。
優勝の夜の道頓堀のフィーバー。

私は断言できるが「あれで福岡の人間の『地元球団が欲しい』という思いに火が付いた」

もちろんそれまでも、ライオンズが去った穴を埋めるべく球団勧誘を、という声や運動はあった。
だが、老若男女幅広く「地元球団が欲しい!」という思いが盛り上がったのは、あの年の阪神ファンを見てのことだ。

甲子園のライトスタンドのように集い。
阪神ファンのようにジェット風船をあげ。
阪神ファンのように7回に応援歌を歌い(当時は7回にも六甲おろしを歌ってた)。
阪神ファンのように試合終了後、勝利の応援歌を歌って喜びを爆発させたい。

その受け皿があったからこそ、ホークスの福岡移転が実現し、現在の盛り上がりがある。

福岡移転当初は、平和台のホークス対ライオンズ戦は、どちらかというとライオンズファンの方が多いくらいだった。
やがて徐々にその数が逆転し、開き、圧倒するようになった。
福岡のみならず所沢の入りをたまにテレビでみると、ちょっとライオンズの先行きに懸念を感じざるを得ないほどだ。

ともかく・・・はるか昔の話だ。
多くの選手がホークス福岡移転後に生まれた世代。
ホークスが福岡移転の1988年、第2子となる長男が生まれたが虎勝とは名づけなかった。

娘の記憶に残る一番古いホークスの選手は、大濠公園をランニングしていてサインボールを書いてくれた若田部だ。
若田部の娘も奇しくも”はるか”という名前らしい。うちの娘と字は違うけれど。

で、CSと日本シリーズの間に生まれた娘の第2子も、そのうちドームデビューを果たすだろう。

福岡ドーム(この呼び名がいちばんしっくりくる)に集い。
ジェット風船をあげ、『いざゆけ!若鷹軍団!』を歌い、勝利の花火に酔う。

そうしたふるまいだけでなく、その根底に流れる風土的なナニカとして、ホークス球団は根付いたと思う。
だが油断は禁物。
老いも若きも、男も女も、幅広いファンに支えられつづけていってほしいものだ。
はるか未来まで。

その点では、阪神ファンにまだまだ及ばないところもある。


自分でも何を言ってるかわからない世迷い言

人は誰しも「最小の努力で最大の結果」を求める。なるべく「無駄なく効率的なやり方で目標に達したい」と考えるだろう。

例えば山の頂に登りたいと思えば、最短ルートというのがある。ただしそれは必ずしも直登ルートとは限らない。山の一方が断崖絶壁、反対側がなだらかな斜面だとすれば、断崖絶壁の方が距離は短いが、単位時間あたりに要するエネルギーは大きく(キツイ)、また転落するなどのリスクもある。「急がば回れ」でなだらかな坂をダラダラ登って行く方が結果的に速かった、というケースもある。

「最小にして最短」に加え「合理的な方法」というのを、少しはモノを考える人間であれば求めることになる。

もっとも物理的な法則によれば、ある重量のものをある高さに移動させるエネルギー(仕事量)は等しい。高校の物理で習う。ただし付け加えればこれには、高校の物理のテストで必ず目にする前提条件を伴う。「ただし摩擦はないものとする」。

(「ただし」が多いね)

さらにさらに「歩くなんてまどろっこしい。ヘリコプターで行けば良い」という人もいるだろう。中には「どうせなら大変でも頂上まで自動車の道路をつくれば、後から登る人も楽して登れるよ」「道路が無理ならロープウェイを」などなど、山の頂に至る様々な「合理的な」(楽な)方法を発案し、あるいは実現する人も出てくるだろう。

「そもそもなんで山の頂に登らなければならないんだ?」と大前提をひっくり返す人も出てくる。必ずしも「山を登ること」自体を否定せずとも「麓をウロウロ歩く方がむしろ楽しいじゃね?有益なんじゃね?」というスタンスをとる人が必ずいる。

山がひとつあったとして、その登り方はかように千差万別。どっからどう登ろうが、途中で休もうが、登りかけて一旦引き返してまた登ろうが、直線で登ろうが、らせん状で登ろうが、途中で迷おうが、「頂上についてしまえば」良い。頂上に着くこと自体を否定する人もいるわけだが・・・。
世間一般的には、この頂上に着いた人を「成功者」として評価する。

過去の登山者たちのケースから、だいたい「こうすれば安全・高確率で頂上に着けますよ」というルートが経験上蓄積されてくる。「まずは歴史に学びましょう」という優等生的なヤツもいる。「人の歩いた道など面白くない。俺は他人がやらなかったルートに挑戦する!」というヤツも出てくる。
後者はたとえ頂にたどり着けなかったにしろ「新たな可能性に挑んだチャレンジャー」として一定の評価を得る場合もある。

頂上にたどり着いたらたどり着いたで、そこから見える別の山の頂に心を奪われ「次はあそこに登ろう」という人もいる。逆に、その山の頂上の魅力に魅せられ「次は別のルートで」「同じルートをもっと効率よく」「ちょっと変化をつけて」もう一度登ってみようという人がそれぞれいるだろう。

結局のところ人の営みのなかで「どれが正解」「どれが正しい」と言うことができるのだろうか?
あさっての方向に進んでいたり、危険な場所に進もうとしている人に「そっちは違いますよ」「そっちは危ないですよ」と言うことは正しいような気もするが、「100%無駄なこと」とも言えない気もする。「大きなお世話」かもしれない。

私の今のスタンスとしては「どれも、あり」

「こういう方法で、こういうやり方で、あそこに到達したい」という仲間と一緒に登るのも楽しいし、単独で自由気ままに登るのも楽しい。
他人が遭難していたら助けたいとは思うが、全部が全部救助できるわけでもない。逆の立場で、助けられる場合もあるし、そうでない場合もある。

とどのつまり「この山に登りたい」という人たちと、右往左往、悪戦苦闘しながら、あえぎあえぎ登っていることに楽しさを感じるかどうか、ということだろう。楽しいよりもむしろ苦しいが、それでも歩みを止めるのはイヤ、という人もいるだろう。
「誰が一番最初に頂についたか」ではなく、各人各様の歩みそれぞれが、個人という限られた肉体と限られた時間だけでは経験できない、もっと多様なパターンを教えてくれる。

「無駄な努力」もまた総体としてみれば、「偉大な成果」なのかもしれない。

「無駄な努力」が積もり積もってできた山の頂上を、また別な人が目指すかもしれない。


扉の向こう側

連載は・・・ちょっと中断(笑)
書きためてはいるんですが・・・・

本日は久々に雁ノ巣に自転車出勤して、朝から夕方まで教育含む4試合観戦できました。

福岡ジュニアソフトボールフレンドシップリーグ第37回秋季大会開幕!

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試合結果の方は・・・・リーグのHPに出てますので・・・・・(涙)

仕事の関係もあり、以前ほどにはどっぷりと毎週小学生ソフトボールには浸ってないですが、でもやっぱり楽しいです。
ついつい熱くなります。

今日も「たまにしか来んくせに」子どもたちに「いらん説教」をしてしまいました・・・(ちょっと反省)
どうも少し元気が無いように見えたもので・・・・
もちろん一生懸命やってるんですが、なまじそこそこの成績?を残しているために、若干ビビリズムが感じられました。

"cool"は千早西に似合わない。Hot!Hotter!Hottest!


ソフトボールに限ったことではありませんが

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「親の背中を見て子は育つ」なんてことを言います。

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親や大人に出来ることは、できるだけ多くの扉を用意してあげること

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でも、扉を選び、扉を開けるのは子ども自身。
そして、扉を開けて歩き出した子どもに
親はいつまでもよりそうことはできません。

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いつしか、ある時を境にして、親は子どもの背中をみつめることしかできなくなる。

だから、扉の向こうで、へこたれず歩き続けるための方法を、大人達はなんとかして伝えようとするわけです。

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監督さんや指導者の「叱咤激励」(叱咤が圧倒的に多いでしょうがw)も
「今の子ども」に向けたものであると同時に、未来の、扉の向こうを歩いて行く子ども達に向けられているのでしょう。
表現方法はいろいろでしょうが。

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「親の背中を見て育った子ども達」が、やがて親を追い越し、親が子どもの背中を見つめるようになる。

でも結局、その子ども達には「幼いときに見た親の背中、大人たちの背中」が道標となってるのかもしれない。


やがて子ども達も子を持ち同じ歩みを始める日が来るかもしれない。


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いつの日か、ずっとずっと先のいつの日かに「よくがんばったね」と、親子が笑顔で対面する。
そんな日が来ることを信じて。





4月の魚と言えば鰆(さわら)だよね!

昨日の「いいとも最終回」を見て(正確には録画を)、作家で評論家の中森明夫がツイッターに「80年代から始まったテレビ的ななにかが終わったのを感じた」と書いていて、それに私も同感だった。ある世代以上の多くの人がそう感じたのではないだろうか。

ただ私は最近、「テレビ的な、なにか」の終焉と同時に「インターネット的な、なにか」が終わろうとしているのを痛切に感じている。
日本でのインターネットの普及は、商用利用解禁の1995年に、時を同じくしてWindows95が発売された時から始まり、1997年あたりから広まっていったと思う。
私自身、パソコン通信とインターネットを併用しつつ、多分98年の正月、自分のHPを開設した頃から急激にネットにはまっていった。ちなみに最初は無料HPサービスの草分けであるジオシティーズのサービスを利用した。

当時はオーサリングソフトとしてホームページビルダーが人気だったが、私のPCはMACだったのでアドビのPageMillを使っていたと記憶する。

自己紹介。家族の紹介。関心ある趣味や時事問題についてのコラム。記事を更新するとトップページに「What's New」を点滅させ、カウンターの来訪者数や掲示板の書き込みに一喜一憂。やがて「さるさる日記」で日記形式の記事を書くようになり、リンク先のリンクページをたどり相互リンクを申請・・・当時を経験した方々には「あった、あった、あるある日記」という経緯をたどった。、

その後の流れは長くなるので割愛するが、このブログもその延長線上にあるわけだ。そしてここ一年ほど、その更新頻度は極度に低下している。

FacebookなどのSNSに関心が移行したことがその理由であることに間違いはない。しかし、もっと根本的なところで、ブログやホームページへの個人的な関心、そのエネルギーが低下しているのだ。

ネットの黎明期、その可能性はまさに無限に思えた。総体としては有限であっても、私という個人が触れられるのはそのほんのわずかだろうという確信があった。
立ち上がったばかりの新しいチームHPを発見すると、新しい出会いにワクワクした。
そしてその数は右肩上がりに増えていった。

だが、ある頃を境に、インターネットの世界が質的に変化していくのを感じるようになる。それは、4年から3年前、すなわちスマートホンが普及していった頃だ。
その前にもインターネットはどんどん変化していった。通信環境は革命的にフェーズを超え、光ファイバー通信やWi-Fi環境、そしてLTEが当たり前の世界になっていった。
PCは文字通り、パーソナルなもの。つまり一人が一台のスマホ(という小型コンピューター)を持つようになった。

職場のパソコンはほとんどビジネスに求められる機能とスペックの果てにたどり着き、なにか新しい機能を付与するための更新は姿を消した。メールのやりとりと見積書および営業資料の作成にはWindows XP以上のものは必要なくなったのだ。その倦怠期の中で、私用のパソコンはテレビ同様世帯単位の所有(共有)から個人単位の所有へと形態を変えた。携帯が形態を変えたのだ。

その結果何が起きたか。インターネットという広大な海のフロンティアは、個人の嗜好をいかに収集し分析し、お好みの商品をこれでもかと提示する広告の主戦場へと激変した。
検索ワード、メールの内容(無料メールの中身はスキャンされている)、位置情報、GPSの位置情報、それらを収集することを可能にした超巨大高速コンピューターによって、生活の領域そのものが狭められていくのである。
マスメディアとして大量消費を誘導するテレビから、より効率よく押し売りができるインターネットへと、広告メディアの主役が転換したのだ。雑誌はその補完物(セグメンテーションのツールとして)に成りはてつつある。

ネット上のつきあいも同様だ。無意識のうちに、人は自分のライフスタイル(地域や年収、学歴)に適合する「心地よい」関係のぬるま湯の中に浸るようになっていく。そしてそのベクトルは際限がない。

人生の可能性を広がるツールから、人生を管理し支配するツールへ。インターネットはその方向へ加速度を強めている。また「アラブの春」以降、国家は政治的目的からこれを制御する欲望を隠すことができなくなった。先進国においてもそれは変わらない。情報は名寄せされ、世紀遅れの「1984」が到来しつつある。

どうや人一倍ミーハーの私は、意識下にこうした事情を察知し、本能的に身を遠ざけようとしていたようだ。できるだけあたりさわりのない話題をSNSにアップし、みっともない自分の本性を、インターネットの世間(それは実世界よりも少々タチの悪い世間だが)から隠そうとしているのではないか?

もちろんインターネットには素晴らしい役割もある。親しいチームの試合経過をほぼリアルで追い、喜びや悔しさを共有することができる。遠く離れた友達とも交流し、そしてなにより、生活の糧を得る道具としても利用することができる。

しかし、そうした利点は利点として利用しつつ、「そうではない、何か」を欲する時が来たようだ。人は自分が知って欲しい情報(知られて困らない情報)しか発信しないし、そこだけでその人を知ったつもりになって、本当にそれで良いのだろうか。

ではどうすれば良いのか?明確な答えはまだ見つかっていない。
しかし、スマホの電源を切り、旅に出る。町に出る。酒場にくりだす。リアルに新しい人と出会い、会話をする。
そうした行為を「意識的に」やっていこうと思う。
書店に行っても、そこはビッグデータとマーケティングから生み出された本や雑誌に溢れている。でもやはり、並んでいる本を眺め、書店員のセレクトに触れることで、Amazonとは確実に違う一冊に出会うことができる。青臭いかもしれないが、新聞の書評欄に取り上げられた本は意地でも買わなかった頃の自分を思い出しながら。

飲食店については(特に福岡のそれは)、どこも店舗経営マニュアルと流行のレシピと安易なメニューでやや絶望的な気分になりがちだが、自分の直感だけに頼って飛び込みで新たな味と出会うための冒険を、月に何度かは復活させたいものだ。
へそ曲がりの職人と、とびきり愛想の良い店員と、他では決して食べることができない料理に出会うことが出来るかもしれない。(ラーメンは食べません)

なんだ、お前そんなこともやってなかったのか?という方もおられるだろうが、恥ずかしながらそうなのだ。私にとってインターネットは多くの出会いと発見も与えてくれたが、このまま続ければ、失われていくものが多すぎる予感がある。

そういうわけで、この「居酒屋じゅごん」も潮時だという思いが日に日に募ってきた。
ここはひとつ、思い切りよく区切りをつけ・・・・・・・・





近日中に「駄菓子屋じゅごん」としてパワーアップリニューアルすることとしました!
目指すは路地裏の社交場!
カテゴライズしたければ勝手にするがよい!
ターゲット広告を打ちたくば打て!
ビッグデータという統一球に、あの手この手で蟻の風穴を空けてやる!

「ネット的なものでない、なにか」との出会いを求めて。
それは、つまり、私なりの「ネット哲学」だ。


追伸:ソフトのことももうちょっと書くよ!


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