梅花の候

拝啓 梅花の候 どのように過ごしているでしょうか。
寒い冬に今年は梅の開花も遅く、福岡もまだ満開にはほど遠い様子です。
お向かいのSさんのお宅の紅梅が、数輪開きました。
もっとも札幌は、まだまだ雪のなかでしょうが。

卒論も無事提出し、あとは卒業式を待つのみとのこと。
お母さんともども安心しております。
4月には入社となりますが、幾日かは福岡に帰ってくると思いますので
楽しみにしています。

さて、先日、福岡でも数年ぶりにうっすらと積雪しました。

雪見障子

昼過ぎには溶けてしまいましたが、小学生らが千早公園で嬉しそうに雪合戦や雪だるまつくりをしていました。

その前々日のことなのですが、お爺ちゃんからお母さんに電話があり
「納戸にしまってある革のトランクに、匡伯父さんの遺品があるはずだから確認して欲しい」
とのことでした。

匡伯父さんとは、亡くなった美野子おばあちゃんのお兄さんにあたる人で、海軍兵学校を卒業後飛行学生、搭乗員となり、昭和19年に戦死された方です。
お父さんも断片的に話を聞いているだけで、あまり詳しいことは知りませんでした。

雪で練習も中止になったので探してみると、納戸の棚の上に確かに古ぼけたトランクがあり、開けると制服が二着と、日記や「戦陣訓」などの書類が入っていました。

トランク

匡伯父さんは(お前にとっては大伯父ですが)旧制唐津中学を卒業後、昭和13年12月、広島県の江田島にあった海軍兵学校へ第70期生として入校されています。
海軍兵学校は士官養成のエリート校で、資料によると志願者7233人に対し入校者(合格者)は454名。約16倍の狭き門だったそうです。
前年7月の盧溝橋事件により支那事変(日中戦争)が勃発、日本は9年間の長い戦時下へ入っていく時期のことです。

この土日は国公立大学の二次試験が行われるようですが、お前の受験も昨日のことのように思い出します。
匡伯父さんの時代の海軍兵学校の受験は強烈で、5日間にわたり試験が行われ、前日の科目で基準点に達していない場合は翌日からは受験資格なしだったそうです。もちろん学科試験に先立ち厳しい身体検査も課されていました。

こうして厳しい試験に合格し、晴れて憧れの制服を身につけ3年間の厳しい訓練と勉強を経て、卒業したのは昭和16年の11月。日米開戦の直前のことでした。

制服

その後、匡伯父さんは39期飛行学生として戦闘機搭乗員の訓練を受け、昭和19年に横須賀航空隊に赴任。その年の3月30日、パラオ近海に来襲の敵機動部隊攻撃に出撃し、ペリリュー東方海面にて戦死されました。

手紙1

手紙2


遺品の中には、家族から匡伯父さんに当てて出された手紙も、保存されていました。
上は父親(お母さんのお爺ちゃん)、下は母親(お母さんのおばあちゃん)からのものです。

達筆で、なかなか読みづらいのですが、子どもを誇りに思うと同時に、立派に成長して欲しいという思いが伝わってきます。

海軍兵学校の同窓会が出版した会誌に、美野子おばあちゃんが寄せた一文があります。
それによると、昭和18年の正月2日間の休暇があり、宇佐で訓練中の匡伯父さんが、故郷が遠方で帰省できない友人二人を連れ帰郷したそうです。(記録では宇佐に居たのは昭和19年の正月で、おばあちゃんの記憶違いかもしれません)
もちろん家族は大喜びで、女学生だった美野子おばあちゃんのクラスメートもひとり招き、夕食のあと皆でトランプやジェスチャー遊びなどに興じたとのこと。
青森出身の斉藤さんと言う方の「線香花火」という、多分ジェスチャーでしょうが、これが圧巻で、一同腹を抱えて笑ったそうです。もう一人の福島出身の今泉さんという方は病気がちだとかで、静かな方だったそうです。

史料によれば、斉藤さんは昭和19年8月、母島南方で戦死。また今泉さんは同年5月に戦病死されています。

海軍兵学校70期生は、まさに最前線の激戦に赴き、戦死率66%という熾烈な結果(兵学校出身各クラス中最高)を残しています。
匡伯父さんが戦死した年の10月、最初の神風特別攻撃隊・敷島隊が編成され出撃しますが、これを率いた関行男大尉(死後二階級特進し中佐)も、また昭和20年8月15日、終戦の詔が発せられたあと、特攻の指揮をとっていた第五航空艦隊司令長官宇垣纏中将の「命令」(私兵特攻)で、「最後の特攻」に出撃した11機の艦上爆撃機「彗星」の指揮官、中津留達雄大尉も、ともに海軍兵学校70期生、そして飛行学生39期でした。

彼らは皆23歳前後、今のお前と同年代です。
様々な思いは胸に浮かびますが、お前ももう一人前の社会人となろうとしているのですから、どのように受け止め、またその当時がどういうものであったかは、自分自身で勉強し、とらえてくれればと思います。

これらの遺品・資料は、たまたま今お爺ちゃんが暮らしている同じ町内に東郷神社の宮司さんがおられ、その縁で神社内の資料館に寄託させていただくこととなりました。
命日の3月30日にはお前も福岡に居ると思うから、一度見ておくのもいいかもしれませんね。

残り少ない大学生活となりましたが、最後の詰めが大切ですので、気を緩めて羽目を外しすぎることがないよう。
元気な姿で再会できることを願っています。

襟章













お父さんの方も、最近いろいろな出来事があり、あまり羽目は外さず、いろいろなことを考える日々です。



GO TOP
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。