ブロガ―の疑問

ツツジとよく見分けられないけど、多分サツキの花が庭に咲いております。
時期的に。

ホタルもそろそろ見ごろですよね。
もう見た人、いる?
JR博多シティの屋上で見られるって、ホント?

2日続けて?
ハイ。書いてみようと思います。

お正月まであと7カ月と1日ですし・・・

昨日の『毎日新聞』(西部版朝刊)「発信箱」というコラムによりますと・・

小国綾子さんという方の署名記事です。(リンクはっときました)


野球は個人競技?

「競争」論議が盛んだ。「グローバル時代に国際競争力を」「競争原理で教育の質向上を」と耳にするたびに考え込む。

 家族で暮らしたアメリカで、息子は野球少年だった。選別は9歳の時、始まった。娯楽チームでのんびりやるか、他州での遠征試合があるトラベルチームの試験に挑むか。いくつもの選択肢があり、どれを選ぶかは自由だった。でも結果は自己責任--。

 息子はトラベルチームを選び、そのあおりで別の子がチームを追われた。2年後、ライバルチームのトップ選手が移籍してきて今度は息子がはじき出された。さらに激しい競争を求め、1歳上のチームで目覚ましく伸びた子、強豪チーム内の競争に傷つき野球をやめた子、格下のチームで自信回復し、強豪チームに返り咲いた子……。力ある子の前でハシゴはどこまでも高く伸びていた。一方で、親の財力や情報収集能力がモノをいう現実を目の当たりにした。競争を避け、あえて娯楽チームを選ぶ家族もいた。選択を悔やむ親子はいたが、選び直す自由があるから「ここにしがみつくしかない」という閉塞(へいそく)感はなかった。

 競争の激しいチームでは毎年顔ぶれが入れ替わった。だから子供たちは「チーム全員で強くなろう」と思っていなかった。一人で強くなりチームを選ぶ。小学校6年間、同じ仲間と強くなろうと目指す日本の「全員野球」しか知らなかった私はうめいたものだ。「この国の野球は個人競技なの?」。大学卒業から30歳まで平均4回転職するという国で、小学生が将来の転職やレイオフの予行演習をしているかに見えた。

 競争と選択の自由とは背中合わせだ。選択肢があるから競争は生まれるが、豊かな選択肢が競争を緩和することもある。アメリカの少年野球で知ったのは、選べることの大切さと難しさだった。


以上です(赤字加工はじゅごん)

この方の経験がアメリカのどの地域のものなのか?
また、これが一般的なのかはわかりませんが、アメリカの少年野球といえば「ピーナッツ」のチャーリーブラウンや、「がんばれベアーズ」くらいしか知らなかった私には、ちょっと驚きでした。

「へえ~。そうなんだ」と。

良く知られているように、第二回のWBCでも覇を競ったお隣の韓国では、野球部がある高校は50校そこいらです。野球に限らず、高校生でスポーツ系の部活をするのはプロアスリートを目指すエリートで、競技人口自体は日本に比べて圧倒的に少ない。しかし徹底したエリート教育で鍛え上げるわけです。


日本でも、強豪と言われる高校野球部や、そこへ選手を送り込むクラブチームなどには多少そういう傾向があるでしょうが、しかし野球もサッカーも「観る」だけではなく「する」スポーツという感覚が日本では強いのではないでしょうか。野球がソフトボール、サッカーがフットサルに代替されるということはあるかもしれませんが。

さて、アメリカのケースに戻りましょう。
9月新学期スタートのアメリカでは、今が卒業シーズン。
そして6月上旬にはメジャーリーグのドラフト会議が行われます。

アメリカでは、夏に野球、冬にアメフトなど、部活動のかけもちも一般的であると聞いたことがあります。
現状がどうなのかはよく知りませんが、例えば私と同世代のボー・ジャクソンは、MLBとNFL両方で活躍しています。
いずれにしても「運命のドラフト!」的な悲壮感はあまりないようですし、マイナーだと待遇悪いから拒否も結構あるようです。
それに、トレード、FA日常茶飯事ですしね。


さて、娯楽チームで楽しく野球を楽しむのか?それとも厳しい競争の中に身を置くのか?
9歳ですから、日本の3、4年生で最初の選択があるわけですね。

ただ、それが運命を全て決めるわけではない。選択の自由はその後もある、と。

次のくだりは、特に日本とアメリカの「少年スポーツ観」の違いが如実に表れる点だと思います。

子供たちは「チーム全員で強くなろう」と思っていなかった。一人で強くなりチームを選ぶ。小学校6年間、同じ仲間と強くなろうと目指す日本の「全員野球」しか知らなかった私はうめいたものだ。

執筆者の小国さんは、上のお子さんか何かで日本の少年野球の経験がおありなのでしょうか?
そんな気がしました。
私を含む、私の周囲の少年ソフト関係の親御さんも、同じくうめいたと思います。
「チームが俺を選ぶんじゃなくて、俺がチームを選ぶんだ」と公言すれば
日本だと「天狗だ!」と叩かれるでしょうね。間違いなく・・・



私が言いたいのは、どっちが良いか?という話ではなく・・・・


国や文化により、少年スポーツに対する考え方は様々であるということをもっと自覚しよう、ということです。
千早西クラブは、Jリーグの発足とサッカーブームに危機感を抱いた地域の親父達が立ち上げたのが出発点ですが、地域のクラブチームが、幼児期からユースに至る育成、そして生涯スポーツの拠点として役割を持つ、というヨーロッパのクラブ制度を手本としたJリーグの理念は、大いに見習うべきものがあると思います。

もっとも一部のクラブを除き、今のJリーグ各チームの財務状況は厳しいものがりますが・・
アビスパもねー・・・


日本の野球に限っていうと、プロとアマの垣根の問題があり、高野連や学生野球連盟に所属するプレイヤーは「国内最高峰」であるプロ野球選手や、元選手の指導を直接受けられない、という現状がありますよね。徐々に解消には向かっているようですが・・・
さらに「教育の一環」という、学校の部活動を中心としたあり方があり・・・・


普通に考えれば、優れたプレイヤーとしてある程度の経験を経たアスリートが少年期の指導にあたるのが望ましい気がするのですが、なかなかそれは難しい。個人的にインストラクターとして生業にしている方もいるようですが、まあ大半は「ボランティア指導者」「お父さんコーチ」がこの国のすそ野を受け持っているわけです。


相性も含め、「この指導は自分には(あるいは自分の子供には)合わない」と考え、適性やチャンスを求めチームを移籍することは自由な選択のはずなのですが、日本は結構ゴタゴタしますよね。アメリカでも多少はそうなのかな?

逆に言えば、成績や指導内容に問題があり選手が集まらなければ、プロの指導者であれば学習塾の経営者などと同様ですから、看板を下げ転職するしかありません。
アマチュアで手弁当だから、続けることができるという言い方もできます。
(わー。ここはかなり反感を買いそうな内容。決してベテラン指導者を揶揄しているわけではありません。自戒を込めて、です)


「見果てぬ夢」は追い続けるのだけれど、その方法は十年一日ではいけない。
「見果てぬ夢」を実現するための工夫や研究を怠らないことこそ、夢に近づく努力。

ただ、私の「見果てぬ夢」は、技術が上手いことや、プロやメジャーで活躍する選手を育てる、というのとはちょっと違うし、「勝利」「優勝」「一番」は目標であって目的ではない・・・


話が拡散するので、この点については論を避けますが、最後にひとつ
「同じやり方を繰り返し、違う結果を期待するのは、正気ではない」(アインシュタイン)

違う結果を求めるのならば、違うやり方が求められるということ。
「どうして毎度毎度うちの選手は・・・」と嘆く前に、「やり方」がパターンに陥っていないか真剣に考え、勇気をもって変化しないといけない。

娯楽チームであれ、トラベルチームであれ、と思います。


選択は自由なんです。子供も親も指導者も。
そしてそれには「自己責任」が求められるんですね。


追記

アメリカの少年野球事情を知ろうと思ってググり、いくつかブログを読まさせていただきましたが、親御さんの思いは同じですね(笑)

こんなブログが参考になりました。

Enthusiastic Little League fan ~米国リトルリーグ奮闘記~

lovely lagoon living

☆目指せ!リトルリーグ All Starへの道☆



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