夢のまた夢

現在16日の未明です。
雨が降ったり止んだり・・・今日はリーグ戦どうなるでしょうか?

昨日は思いのほか天気がもって、練習試合、あるいは練習、夕方までできました。
で、私は、誠に申し訳ありませんが、旅行に(^^;
「敬老の日」。日ごろ不義理している母に年に一度の親孝行?です。
台風が、少し進路を変えてくれることを「自分勝手に」望んでいたりします。


旅立ちは結構早い時間なのですが、ちょっと書いておきたいことがあったので。

「夢のまた夢」という言葉があります。

初代若乃花・花田勝治(二子山理事長)さんが、理事長時代の1992年、甥の貴花田が初優勝し、自らの手で賜杯を渡した時、勇退間近でもあり「夢の中の夢のように遠い望みだと思っていたことが実現した!」という意味合いで使われたことで、有名になったように思います。


この「夢のまた夢」という言葉は、歴史的はずいぶん昔から日本で使われていたようです。
同意の「夢の夢」は「平家物語」の中にも出てきます。
仏教思想に源を発するものなのでしょうか?

一般には、豊臣秀吉の辞世の句に使われたのが有名です。

「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」

日本史史上最高の「立身出世」を遂げた秀吉ですが、最後の境地は「自分の人生は夢の中で夢を見ているような儚い一生だった」というものでした。

このように、もともと「夢のまた夢」は、「儚い、あわれなもの」という意味で使われていたようです。

「曽根崎心中」という浄瑠璃の中にもこの言葉が使われ、その一節は劇中の山場として有名です。

追い詰められ、もはや死ぬしかないと曽根崎の森へ歩む、お初徳兵衛のふたり・・・

この世の名残り、夜も名残り。死に行く身をたとふればあだしが原の道の霜。
一足づつに消えて行く夢の夢こそ哀れなれ。



人生は、夢の中の夢のように移ろい、儚いもの・・・

しかし、だからこそ、その一瞬をいかに燃焼させ生きるのか?

近松門左衛門が描いたこの物語が熱狂的な人気で迎えられ、現在にまで受け継がれているのは、そういった日本人ならではの人生観からでしょうか?


「夢を持つことは大事」だと良く言われます。
目標は具体的であればある程良い!イメージを鮮明に!とも言われます。
なるほど成功したスポーツ選手は、小さなころから高いステージで活躍する自分の姿を思い描いていることが多いようです。

しかし・・・小学生のうちは
子供も、また親も「夢」はおぼろげで、頼りなく・・・ぼんやりとして・・・
憧れは「夢の、また夢」である場合が多いのではないでしょうか?

けれど、努力はリアルです。
きつい、くやしい、逃げ出したい・・・
そんな思いを積み重ねながら
知らず知らずのうちに子供たちは成長していく。



そして、ふと、思いもかけないタイミングで
「現実が夢に追いつき、追い越す」

そんな瞬間に遭遇します。


それは本当に一瞬のことで、つかんだと思った夢はいつまでの手のひらのなかにあるものではない。

しかし、その瞬間の体験こそが、親と子が共有できる、小学生スポーツの最高の宝物と言えるかもしれない。

そんな瞬間を自身も体験し、また目にしてきたからこそ、その魅力にとりつかれる。


「夢のまた夢」
まわりどい表現ですが、「夢を見る者にだけ見ることが許される夢」



あなたにとってその夢は何でしょうか?

夢は実体のない、つかみどころのないものですが
私が思うに、ただひとつ確かなことがあって・・・

それは、「夢は生きている者のみが見ることができる」ということ。


夢の夢のように儚い人生かもしれない。
しかし、その人生を確かにしてくれるもの。
それもまた、「夢」であると言える、と思います。
思うに、子供時代はまさに夢の中を生きているようなものかもしれない。
夢の中の、そのまた夢に乗っかかって、親もまた子供とともに夢を追う。

挫折もまた、夢の中での出来事。

夢に向かってみなさん頑張ってください!


私は今夜は、温泉に浸かって、うまいもん食って「夢心地」になる予定~(笑)
(台風どうなる?)


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