走り出せ 人よ時間よ

2011年3月11日は金曜日だった。その日私はたまたま休みをとっていて、少し前に開業したJR博多シティ近くで、博多湾から大博通りの上空を飛び抜けたブルーインパルスの編隊を見た。
翌日の九州新幹線鹿児島ルート全線開業記念式典のリハーサルだった。
博多駅周辺は、街をあげて祝賀ムードに満ちていた。季節もまさに春。

関係スタッフの心も皆、多忙の中にいよいよこの日を迎えるという喜びに満ちていただろう。
知人の公務員やイベント会社スタッフ、そして鉄道マン達は、まさに寝食を削りながら最後の準備に余念がなかった。

東日本を襲った地震と津波は、少なくとも一年、あるいは人によっては数年というこの人たちの努力をも押し流した。
命を、そして家族や友、故郷そのものを失うことに比べればそれは小さなことなのかもしれない。
式典は全て中止されることが、11日の夕方までには早々と決定された。当然の判断だった。

しかし翌朝、列車自体は新たなスタートを切った。
6時10分博多発下り「つばめ327号」を皮切りに、鹿児島中央、熊本など各駅から一番列車が出発。
熊本発の上り「さくら544号」は新幹線の営業車両として初めて熊本以南の九州-関西を直通で繋いだ。

本来ならばこの日は、鹿児島~青森間が新幹線で繋がれる記念の日となるはずだった。
その一週間前に登場した東北新幹線の新型車両「はやぶさ」は、かつて東京~鹿児島をつないだ特急列車の名称を継承していた。

例えれば動脈に重い傷を負い、日本という身体が「一歩間違えば」という状態に陥った。
腕に受けた傷は神経を断つようなものだった。
しかしまさにその直後、足元から一本の太い血管が熱い血潮を送り始めた。

東北新幹線が復旧され、再び全線開業したのは同年4月29日。わずか49日後のことだ。
仏教の教えではこの日を境に、あの世とこの世の間をさまよっていた魂は幽界へと旅立ち、成仏するという。

今年、多くの遺族が三回忌を迎えたわけだが、宗教的な意味合いはもとより、風土、文化としての法要は、死者の記憶を年月とともに昇華し、良き思い出へと変えていく節目になっているように思う。

二回目の春の訪れを迎え、「人がどんなに絶望の淵に打ちひしがれていても、どこかには必ず希望が生まれている、それは苦しんでいる人の敵ではない。その人に手を貸してくれる新たな力なのだ」と改めて信じたい。

日本中の時が止まったかのようなあのただ中で、九州から人と時間が走り出した。
夢という幸せを乗せた列車が走るレールは、希望と同じで決して途切れることはない。
「がんばろう!日本」







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