10.30観戦雑感

なんだかんだ言ってドームに足を運んだのは今季2回目なのだから偉そうなことは言えない。
でも「なんだかんだ」いうわけだ。

門司港に住む私の姉が最近野球に目覚め、チケットを確保していたのだが(平日の昼間受付でなぜとれたのかは不明。ちなみに姉は教員をしている)、予定していたツレが都合で行けなくなったので誘われた。

姉は下の子も大学に入り、お姑さんも高齢だが元気。
旦那は手のかからない人で、要するに時間も多少の余裕もあるおばさんがのめりこみつつあるわけだ。
娘に付き合ってジャニーズのコンサートにも行くが、本心は年齢的にノリについていけてないに違いない・・・

姉は柳田のタオルを持っていた。
ファンクラブにも入会したそうだ。
玄人ぽく?素で観戦する私に
「チケットとれんで来たくても来れなかった人に申し訳ないやろ!」と予備のメガホンを押し付けるので
仕方なく私も「ここで!決めろ!」などとメガホンを手に中途半端な挙動をする羽目になった。

素晴らしい。
ざっと周りを見渡しても、カップル、家族連れ、職場グループ?
女性比率が非常に高い。それぞれが声を枯らして応援している。
単なるミーハーでなく、野球のツボを押さえて。


29年前、私は阪神タイガースのファンだった。
熱狂的だったかどうかはわからないが(トラ党の場合『熱狂的』のハードルがやや高い)
高校の卒業文集的なものに「男の子が生まれたら虎勝と名付ける」という意味のことを書いていたくらいだから
熱心なファンだったことは間違いないと思う。

1985年当時はライオンズは所沢に去った後で、いろんな球団が平和台へ試合に訪れていた。
5月のヤクルト戦、8月の中日戦ともに足を運んだ。
8月の時は身重の妻を伴い、お腹の中の子に真弓やバースや掛布や岡田の雄姿を「胎教」するつもりで出かけた。

10月16日に優勝し、11月の頭に日本シリーズも制し、そして11月中旬に子どもが生まれた。

子どもは女の子だった。虎子はさすがにためらわれ、「次に優勝するのは”はるか”先のことかなぁ?」という思いを胸に『はるか』と名付けた。

あの年の阪神ファンの熱狂ぶりはすさまじかった。
甲子園にジェット風船が飛び交い、六甲おろしが全国を席巻した。
優勝の夜の道頓堀のフィーバー。

私は断言できるが「あれで福岡の人間の『地元球団が欲しい』という思いに火が付いた」

もちろんそれまでも、ライオンズが去った穴を埋めるべく球団勧誘を、という声や運動はあった。
だが、老若男女幅広く「地元球団が欲しい!」という思いが盛り上がったのは、あの年の阪神ファンを見てのことだ。

甲子園のライトスタンドのように集い。
阪神ファンのようにジェット風船をあげ。
阪神ファンのように7回に応援歌を歌い(当時は7回にも六甲おろしを歌ってた)。
阪神ファンのように試合終了後、勝利の応援歌を歌って喜びを爆発させたい。

その受け皿があったからこそ、ホークスの福岡移転が実現し、現在の盛り上がりがある。

福岡移転当初は、平和台のホークス対ライオンズ戦は、どちらかというとライオンズファンの方が多いくらいだった。
やがて徐々にその数が逆転し、開き、圧倒するようになった。
福岡のみならず所沢の入りをたまにテレビでみると、ちょっとライオンズの先行きに懸念を感じざるを得ないほどだ。

ともかく・・・はるか昔の話だ。
多くの選手がホークス福岡移転後に生まれた世代。
ホークスが福岡移転の1988年、第2子となる長男が生まれたが虎勝とは名づけなかった。

娘の記憶に残る一番古いホークスの選手は、大濠公園をランニングしていてサインボールを書いてくれた若田部だ。
若田部の娘も奇しくも”はるか”という名前らしい。うちの娘と字は違うけれど。

で、CSと日本シリーズの間に生まれた娘の第2子も、そのうちドームデビューを果たすだろう。

福岡ドーム(この呼び名がいちばんしっくりくる)に集い。
ジェット風船をあげ、『いざゆけ!若鷹軍団!』を歌い、勝利の花火に酔う。

そうしたふるまいだけでなく、その根底に流れる風土的なナニカとして、ホークス球団は根付いたと思う。
だが油断は禁物。
老いも若きも、男も女も、幅広いファンに支えられつづけていってほしいものだ。
はるか未来まで。

その点では、阪神ファンにまだまだ及ばないところもある。


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