宇美リーグとの交流戦終了
結果については千早西クラブログ

さて、数学者の森毅さんが亡くなられましたね・・・

森さんと言えば、京大教養部の名物教授でしたが・・・

私の大学時代の「名物教授」のことを思い出しました。

大学時代のじゅごんは、応援団と新聞部にW在籍していたのですが
両部の共通の顧問が、社会学の執行嵐先生

教養部の名物教官でした・・・

ある日サークル棟で放課後を過ごしていると

鍋とカセットコンロ(私が入学前に発売され、当時は下宿で使用している学生も多かった)を持って現れた執行先生・・・

鍋に湯を沸かし、おもむろにその辺に生えている草をちぎって煮始めた・・・
片手には焼酎・・・

「ん~この草はいけるな・・・この草は食えない」などとぶつぶついいながら、茹で草を肴に酒宴をしていた(独りで)

講義では・・・「今日は名前で出欠をとろうかな~」と突然言い出した執行先生

「あ~・・・あけみ・・・ゆかり・・・きょうこ・・・」と女子学生の名前を呼び

「なんか中洲のキャバレーみたいやな~」とマジ顔でポツリ・・・


「開講時間を15分過ぎても教官がこない場合、休講」というルールだった当時の教養部・・・

事前のお知らせもなく、1時限目の講義に現れない・・・

「やった~休講だ!」と3階の教室から出て階段を降りていくと・・・

踊り場で寝てらっしゃいました・・・(たぶん二日酔い)


たしか出身大学は東大で、あちらで問題を起こして九州まで落ち伸びてきたという話でしたが
結構その分野では、それなりの学者さんだったようです。


なにかと問題を起こし、引き受けてのなかった両部の顧問を「ええよ」と引き受けてくださっていたものの
他の部の顧問とは違い、コンパとかにはほとんど顔を出さなかったなあ・・・


まあ執行先生に限らず、当時の大学にはいろんな人がいました・・・

箱崎キャンパスには、サークル棟に小さな子供といっしょに家族で住んでいる演劇部のOBがいたし・・・
ほかにもいろいろ・・・

いろんな人生があり、いろんな価値観がある
そんなことを、今にして思えば多感な青春時代に身をもって教えてくださった方でした
(ご本人に、その思いがあったのかどうかは別にして)


懐かしいなあ

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