建国記念日

思ったほど寒くはなかったけど
雨には勝てませんでしたね。

昨年に続き2月11日の東連盟新人戦順延・・・
今年は記念大会でもあり、主催者の東連盟の方々は大変だったでしょう・・・

うちは・・・雲行きを見て「今日は厳しいな~」と思っていたので
中止決定後、即撤収!
「ぐずぐずしてたら渋滞に巻き込まれるぞ!」と、速いこと速いこと(笑)

撤収の千早西!(笑)

いったん解散して着換えさせた後、集会場でルールのお勉強(子供)
審判心得(父)
スコア講習(母)
などをやりました。

昨年は晴天続きで、なかなかミーティングってやれなかったから
久しぶりのような・・・

さて。2月11日といえば・・・「東連盟新人戦」の日、なわけですが・・・
そもそも・・・何の日?そう「建国記念日」

その昔・・・神代の時代・・・、『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日(辛酉年春正月庚辰朔)に由来する・・・という、超アナクロな記念日・・・・


まあ、いずれにせよ貴重な祝日です。


で、ソフトからすっ飛びますが、この「建国記念の日」、に、最近話題になっているエジプト情勢について整理しようかと(笑)

エジプト・・・といえば、アフリカの北東の端にあります。スエズ運河があり、イスラエルと国境を接しています。アフリカでもあり、アラブでもある。サッカーはアフリカ連盟に属していたかと。

思い浮かぶのはピラミッド、スフィンクス、クレオパトラ・・・・

ナイル河を中心に古代文明が起こり、3000年くらい諸王朝が支配する。
紀元前525年にペルシアが支配。
その後紀元前323年に、アレクサンダー大王が制服。
プトレマイオス朝成立。この最後の女王様がクレオパトラ。

クレオパトラは、シーザーやアントニウスと浮名を流し、子供まで設けますが
結局、ローマに滅ぼされその属州となります。(紀元前31年)

ずーっとローマ帝国の支配が続くが、ローマの衰退もあって、639年にイスラム帝国が支配。
969年には、チュニジアで起こったたファーティマ朝によって征服。
今回の「中東革命」の発端となったチュニジアですね。

ちなみにこのチュニジアはカルタゴを中心として栄え
紀元前264年~紀元前146年の3次にわたるポエニ戦役では
ハンニバル将軍が象を従えてアルプスを越えローマに攻め入り、滅亡寸前まで追い詰めます。

その後、500年くらい基本的にイスラム(いろいろ王朝は変化しますが)の支配下にあったが
その後
1517年にオスマントルコが制服。

1798年、ナポレオンが遠征。このときぶんどった財宝の数々がルーブル博物館に展示されています。
ロゼッタストーンが発見されたのはこの直後。これによって、古代エジプト文字が解明。
このころから近代化の動きがいろいろ出ます。

1869年にスエズ運河が開通。フランスの支援・・・というか支配の影響下。
すごい経済負担だったみたいで、これを機にイギリスが影響力を拡大。
イギリスの保護国となります。ロゼッタストーンも大英博物館に・・・

でもまだ、名目上はオスマン帝国の植民地だったのですが
1914年第一次世界大戦が勃発。オスマン帝国とイギリスは開戦。

このころのお話(オスマン帝国からの独立闘争とイギリスによるその支援)が、有名な映画『アラビアのロレンス』の舞台です。

1922年エジプト王国成立。翌年イギリスが独立を承認。実質的にイギリスの支配下です。

1948年5月14日イスラエルが独立宣言。
翌日から第一次中東戦争が起こり・・・レバノン、シリア、トランスヨルダン、イラク、とともにイスラエルと戦争しますが、結果として負けます・・・このあたりが「現代の中東問題」の始まりとなります。

これで動揺した王国は、1952年、軍部の将校たちによるクーデターで崩壊。共和制へ移行。
実権を握ったのは、ナセル将軍。

ソ連などともうまくつきあいつつ、冷戦下で汎アラブ主義の旗手として、第3世界で中心的な役割を果たしますが・・・1967年の第3次中東戦争でイスラエルに完敗。
1970年、心臓発作で死去。

後を継いだのがサダト大統領。
1973年には第4次中東戦争が勃発。イスラエルをアメリカ、アラブ側をソ連が支援します。
この時起きたのが、第1次オイルショックです。

1979年、イランで革命が勃発し、親米派の王制が倒れます。
エジプトからはイランは結構離れてますけど・・・イランの王様(石油利権のため英米が支援して成立)は親米派で、すなわち中東戦争などでも、イスラエルとは争ってこなかったんですね。でもあまりの独裁・腐敗に怒った民衆が、ホメイニさんを押し立てて革命。
ここから「現代の中東問題」はイスラム革命という第二段階へ。

1980年イラン・イラク戦争勃発。まあ端的にいえば、フセインをアメリカが後押しして、イラン革命の拡大を押しとどめた・・・
それと1979年に、イスラム革命の拡大を恐れ、ソ連がアフガニスタンに侵攻。ソ連崩壊のきっかけになるとともに、現代のテロ問題にこのあたりからストレートにつながってきます。


で、この間サダトさんは、イスラエルとの関係改善を進めるわけですが、イスラム過激派によって1981年に暗殺されます。軍事パレードの観閲中に射殺されるという衝撃的な事件でした。
その時サダトさんの隣の席に座っていて、副大統領だったのが、現大統領のムバラクさん。

基本的に対米協調、国内のイスラム勢力を弾圧・・・・というのを30年近く渡って続けてきたわけです。
1990年、第1次湾岸戦争。エジプトは多国籍軍に参戦します。
2001年9.11テロ。2003年第2次湾岸戦争。

要するに、アメリカなどにとって(日本も)、エジプト(のムバラク大統領)というのは、イスラム・反イスラエル勢力に対する中東における重石だったわけで・・・基本的に都合がいいというか、恩恵に属してきたわけですね。反対勢力への弾圧も黙認してきた。だからいまいち、反対勢力の中心にある人もいない。

ですから、現在のムバラク退陣を求めるエジプト民衆のデモの矛先は、もしかしたらわれわれ日本人にも向けられている、かもしれない。

石油の安定供給、イスラムパワーの台頭、イスラエルの中東におけるパワーバランス、イランの核開発・・・いろんなことがリンクしてきます。なんてったって、イスラエルの隣の国、ですからね。
それにしては、マスコミの報道は「対岸の火事」的ですね。

子供に説明するにも、実に複雑です。
さて、エジプトに「新たな建国記念の日」ができるのでしょうか?

以上、「そうだったのか?!じゅごんさんの時事解説」でした(笑)

コメント

らっこ #-

来たきた!

コメントに困りますって!
難し過ぎて…(爆)

2011年02月12日(土) 07時10分 | URL | 編集

じゅごん #//wnbboM

コメントありがとうございます

★らっこさん
ほら、この記事のアップの直後、ムバラクさんがやめたでしょう。
ラーメンの「しばらく」は復活したけど、ムバラクさんは復活ないでしょうねぇ・・・

2011年02月13日(日) 23時59分 | URL | 編集


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