希望

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ははは・・・この画像、かわいいでしょ?

いよいよプロ他球も開幕しました。
今日からは、九州六大学、福岡六大学がドームで同時開催されたはず。

とはいっても・・・皆さん同じだと思うのですが
なんとなく気が晴れない・・・心の底から楽しめない
そんな毎日です。

でも、子供たちの試合の時だけは、震災のあれやこれやを忘れて
没頭できますね!感謝、感謝。
試合をさせていただけることにも感謝。

居残りちびっこの責任担当ということで、先日のリーグ戦帯同しなかったので
昨日の平日自主練のとき、「あの次郎丸さんにどうやって勝ったのか?」を聞いてみました。

しかし、頭の中身が若干あれ方面なうちの選手たちは
はやくも記憶がおぼろげなようで・・・
あまり要領を得ません・・・

それでもなんとか聞きだした話をつぎはぎすると・・・

2-0で迎えた最終回裏の攻撃・・・

まずトモキがホームランを打ったらしい。
微妙なホームランだったらしいが(笑)、とにかく1点
リーグ戦チーム初本塁打。祝。

んで「トモがセンター前の内野安打」を打ったらしい。
「センター前の内野安打?て、それなんや?二遊間か」
「え~~~と・・・」
「エラーか?」
「いやヒットです|(きっぱり!本人談)」

その後、フォアボールとか?
ジュンヤのライト前のいいあたり(でもライトゴロ)とか
ユウサクの送りバントとか
タクヤとコウキの打球はごちゃごちゃしてなんかようわからんが
要するにFCかエラーがからんで

逆転サヨナラとなったらしい・・・

ほ~・・・
次郎丸さんは前日の東連盟の大会で疲れていたのだろうが
それでも、ごちゃごちゃいいながら「前へ打つ」ことはできるようになったのが
前進か?

強いチームだと、こういう経験をきちんと言語化し、総括し教訓とし、さらに前へ進むのだろうが
まあ、現状、うちは「あっぱらぱ~」なので・・・仕方ない
前日の高木小での練習試合がよかったのだろう。
ありがとうございました。

なんだかんだいいながら、春休み期間、公園の片隅の「平日自主練」に来てたやつが
結果にからんでるな・・・よしよし!




ここから話題かわります。



「希望」は「絶望」の中から生まれる

魯迅という人がいる。

その人の『故郷』という小説の最後は、こんな言葉で結ばれている。

思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない。
それは地上の道のようなものである。
もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。


この小説は著作権切れなので、「青空文庫」でWEBで読むことができます。→こちら

小説では、なかなか解釈が難しい内容なのですが、とりあえず「希望」というのは、あらかじめ与えられるものではなく、みんなで行動してみえてくるものだ、という点は共感できると思う。

また魯迅は、希望ということについて、次のような言葉も残している。

絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ」(『野草』より)

こちらの方は、さらに難しい解釈を要する言葉だ。


さて、村上龍が震災後、「ニューヨーク・タイムズ」紙に寄せた寄稿文に、次のような一文があり話題となった。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。


原文はこちら

「10年前に書いた小説」とは『希望の国のエクソダス』。
この小説では、日本の中学生80万人がいっせいに不登校を始め、新天地を求め北海道へと脱出(エクソダス)し、自分たちの社会を作っていく・・・
(エクソダスという言葉は、旧約聖書の「出エジプト記」に起源)

改めてこの状況の中考えてみると、「希望」という言葉は、平穏な時代に考えていたよりずっと難しい言葉だ。
希望とは何なのか?ゆっくりと深く、今、考えていかなければならないと思っている。



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