ジャッキー・ロビンソンデー

4月15日だ。
この日はジャッキー・ロビンソンday
日本時間の明日の朝、メジャーリーガーの多くが「42番」をつけてプレーする。
多分、われらのイチローも。

1947年4月15日。
開幕のこの日、アフリカ系アメリカ人として近代メジャーリーグとしては初めて(1884年のモーゼス・フリート・ウォーカー以来63年ぶり)、ジャッキー・ロビンソンはメジャーのゲームに出場した。

64年前・・・たった64年前だ!

この時、どういう状況だったか

「メジャーリーグのオーナー会議ではドジャースを除く全15球団がロビンソンがメジャーでプレイすることに反対しており、フィラデルフィア・フィリーズはドジャースとの対戦を前にロビンソンが出場するなら対戦を拒否すると通告したり、セントルイス・カージナルスも同じように脅した。それに対し、ハッピー・チャンドラーコミッショナーはドジャースを支持し、フォード・フリックナショナル・リーグ会長は対戦拒否したら出場停止処分を課すと発表し、問題の鎮静化を図った。監督のレオ・ドローチャーは「自分は選手の肌が黄色であろうと黒であろうと構わない。自分はこのチームの監督である。優秀な選手であれば使う。もし自分に反対する者がいたら、チームを出て行ってほしい」と語った」(wikipediaより)





ブランチ・リッキーは1942年、プルックリンドジャースのマネージャーに就任した。彼は、すでにその時、野球界における最もすぐれたマネージャーとして高い評価を受けていた。

リッキーは、その後のメジャーのシステムの根幹をなすファームシステムを
確立したことでも高い評価を受けている。

しかし、リッキーには、ある胸に秘めた思いがあった。それは、彼が大学監督をしていた時代に遡る出来事に起因している。

チーム遠征が遠征したときのことだった。当時、彼のチームにはチャーリー・トーマスという黒人の一塁手がいたのが、彼は遠征先のホテルで黒人であるという理由で宿泊を拒否されてしまう。リッキーはホテルの管理人に頼んで自分の部屋にトーマスが寝るための簡易ベットをいれてもらう。それは当時、宿泊客に同伴する黒人召使のためにホテルがよくやっていた事なのだった。

その晩遅く、リッキーはトーマスがまるで自分の肌の黒い色をこすり落とそうとするかのように両手をこすり合わせて泣いているのを目撃する。

「黒い肌!黒い肌!」

トーマスは泣きながらそう言っていた。

「この黒い肌を白くすることさえできたら、自分もみんなと一緒に扱われるんです。そうでしょう?リッキーさん?」

リッキーの心は大きく動いた。彼は後にこう語っている。

「私は誓ったんだ。チャーリー・トーマスが経験したような屈辱を他のアメリカ人が味わわなくてすむようにする為に自分のできることなら何でもしようと」

リッキーはこの約束を40年間に渡って、自分の胸のうちにしまいながら、その時が来るのを待っていた。人種隔離が基本になっていた野球界に異議をとなるのに相応しい時期を待ちつづけていたのである。

権力をもっていない時期にそんな事を唱えれば、敵対者に潰されることはわかりきっていた。そして、時期を誤れば、人種融合に反対する人間が邪魔しにかかると言うことも。

彼は、ドジャースのGM兼会長になってから、極めて慎重に事を運んだ。彼は、新しい黒人チームを作ると偽って全米にスカウトを派遣し、有望な黒人野球選手をリストアップさせた。

彼は黒人初のメジャーリーガーになるであろう人物がうけるであろう嫌がらせや中傷、プレッシャーを予期した。

そして、それらに耐えた上で、メジャーで活躍できる実力をもつ選手をさがしていた。

そしては、彼はとうとうその条件を備えた人物を発見する。自己を十分に律し、しかも強烈な競争心をもつ男を。

それこそがジャッキー・ロビンソンだった。

(ここまでこちらのブログから引用)





ドジャーズの会長リッキーがロビンソンに最も求めたことは「やり返さないだけのガッツを持ってほしい」

どんな差別、どんな侮辱に対しても「やり返さないガッツ」

リッキーは「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ」とロビンソンに言い、右の頬を殴った。ロビンソンは「頬はもう一つあります。ご存じですか」と答えた

ジャッキー・ロビンソンは、この年、打率.297・12HR・48打点・29盗塁という成績を残してチームの優勝にも貢献し、この年より制定された新人王を受賞した。

1949年は自己最高の打率.342・37盗塁を記録し、首位打者と盗塁王を獲得。MVPに選出された。黒人選手としてロイ・キャンパネラ、ドン・ニューカム、ラリー・ドビーとともに初のオールスターゲームに出場を果たし、ロビンソンは1954年まで6年連続でオールスターに出場した。また、1949年から6年連続で3割を達成している。

ロビンソンのメジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日、ロビンソンの背番号42が全球団共通の永久欠番となった。そして2004年4月15日にMLBはこの日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定。
現在、この日は、希望する選手は「42」をつけてプレーすることができる。

たった64年前。「やり返さないだけのガッツ」を持った偉大な選手がメジャーデビューした4月15日。
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