禍福はあざなえる縄のごとし

福岡市少年チャンピオン大会。
チーム創設間もないころから(まともに試合ができるようになってから)
常に年間の目標にしてきた大会だが。

三度目の抽選で力尽き、しかし三位決定戦には勝って入賞。

優勝は香椎東さん。
リーグ決定戦での悔しさを、こちらで晴らしたか?

勝負事には「雪辱」という言葉があり(リベンジという言葉、私は好みではない)
悔しい思いが、いつか糧になるのが子どものスポーツの良いところだ。

人生も、良いことと悪いことというのはバランスがとれるようにできていて
良いことばかりは続かないし、逆に悪いことばかりも続かない。

トータル6勝4敗くらいであれば上出来の人生と言えるだろう。







彼と初めて出会ったのは、2003年の3月だ。
とあるチームのヘッドコーチをしていた彼だが
監督の指導方針にどうしてもついていけず
同調する保護者とともに新しいチームを立ち上げた。

その経緯については双方の言い分があるだろうし
どちらが正しかった間違っていたということでもないと思う。

当時1年生でもうすぐ2年生になる彼の息子にソフト(野球)をやらせる上で
彼が教えたい野球のあり方について真剣に悩んだ上での決断だったろうと思う。

チームはできたが、試合は無理だろうと考えていたようだ。
しかし縁あって、当時我々が運営していたリーグに受け入れることになった。

香椎のロイホで、数人の保護者とともに、スーツとネクタイで挨拶に見えた姿を
昨日のことのように憶えている。

記念すべき?公式戦初戦は、千早西がやらせていただいた

36対0

うちが先攻で、後攻の点数の記載がないので、2回表の攻撃中に打ち切りしたのだと思う。

それが彼の「監督」としてのスタートだった。

しかし「屈辱」というよりは、彼は「試合ができる喜び、幸せ」についてばかり語っていたという記憶がある。

初めての得点・・・

初めての引き分け

初めての勝利・・・


千早公園の桜の木とともに、チームの成長する姿を目の当たりにさせていただいてきた。

2005年の第2節
4月24日の第四試合。

これが彼の息子の投手として初勝利の日だ。
多分間違っていないと思う。

(こそこそとHPの更新などやってきていると、そういう記録が備忘録として残っていく)

4年生か。

息子が6年生の年、2007年は、千早西も「花の13期生」と言われそこそこのチーム力だった。
その前に立ちはだかる彼の息子を打つために、ずいぶん手に豆をつくった子供らが多かった。
対策として、マシンを前にずらして打ち込むというようなこともやった記憶がある。

彼は、投手として大きく成長した息子を擁して、彼にとっても、またチームにとっても大会での初めての優勝を経験した。ただし、リーグではうちは負けなかった。

律儀な彼をだまくらかして、「博多区東区懇親会」(にしては他所からも多数参加していたが)にスーツとネクタイ姿で出席させたのもこの頃。


その後彼は監督の座を譲り

息子とも生活の場を別にし

恩讐?を超え、チームは、地元のリーグへ加盟し



やや縁遠くなっていたのだが、久しぶりに連絡をとったのは3年前

甥の結婚式で訪れた栃木。宿泊していたホテル。
ちょうど早朝に「なでしこジャパン」がWカップ優勝を決めた日で
式が始まるまでの間テレビをみていたが、そういえば息子が栃木の名門校に進んだと言うことを聞いていて
地元のNHKをつけるとキャッチャーとして試合に出ているではないか。

福岡にいる彼にすぐに電話をし、打撃結果をいちいちメールし、喜び合ったのも、これまた昨日のことのように思い出される。

甲子園でも活躍し、六大学への進学も決まったと聞いていたのに・・・


禍福はあざなえる縄のごとし。

山下さん、縄は途絶えてしまったのだろうか?

月並みだが、私にはそうは思えない。
あなたがあざなった縄はずうっと続いていく。

幸運ばかりがよられた縄ではない。
悲しみや不運も織り込まれ、だからこそ、その縄は強く、味わいがある。

冥福を祈ります。
たまに、千早公園の桜と、ボールに遊ばれてる子ども達、見に来てください。


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