極私的野球漫画史 第1章 「父が子に託す夢」

『巨人の星』から始めようと思う。

星一徹が夜空を指さし、「飛雄馬よ。あれが巨人の星だ」と父子でその星を目指したごとく、この作品は今に至るまで野球漫画史の中に燦然と輝いている。

「週刊少年マガジン」に1966(昭和41)年6月から1971年にかけて連載された。私は1968年に小学校に入学しているから、開始時は幼稚園の時だ。

今はひらがなが読めない未就学児は珍しいだろう。
小学校の最初の授業で担任の原口先生が「この中で字を読める人」と手を挙げさせると約半数くらいだった。先生は「字は小学校に入って習うことになってますから、読めないのが当たり前で恥ずかしいことはありません。だから最初からお勉強していきましょう」と言ったのを今でも覚えている。子ども心に「先生は優しい人なんだ」と思った。

小児ぜんそく持ちの虚弱児?だった私は、発作が起きると数日は安静にしていなければならず、やることがないので本や漫画を読んでいた。棚にある「世界少年少女文学全集」とともに、「少年マガジン」と「少年サンデー」で私は字を憶えていったのだ。

「文学全集」も「マガジン」も「サンデー」も私が買ってもらったものではなく、母の姉の子ども。つまり従兄弟のお兄ちゃんからの「おさがり」だった。私より一回り上だから当時高校生。大学に入るのに二浪したので、その間私はずっとこの従兄弟から「おさがり」をもらい続けた。数ヶ月に一度遊びに行くと、押し入れにあった数週間分の「マガジン」「サンデー」をくれ、父の運転する車で持って帰り、それこそむさぼるように一心不乱に読み耽った。

だから『巨人の星』はリアルに連載を追った(多少タイムラグがあったが)。そしてこの作品は1968年春から1971年秋にかけてテレビアニメとして放映された。

『巨人の星』と言うとき、あなたは漫画とアニメ、どちらを思い起こすだろうか?この作品の真のすごさは、漫画だろうがアニメだろうが、その神髄が等しくそれを見た少年たちに伝播しているところだ。

同時代の同じ原作者による『あしたのジョー』や『タイガーマスク』とはそこが違う。前者は漫画がアニメを陵駕し、後者は反対だ。違う言い方をすれば「ストーリーと設定が、作画表現を超越している」。

作画に難があったわけではない。ただ例えば「目の中に炎が燃えている」という表現は、多少タッチが違っても、その与えるインパクトは等しく共有されたのだ。「目の中に炎を描かせずにはいられないなにか」が、この作品の神髄である。

自分の果たせなかった夢を子に託す父。特訓。根性。ぶちあたる壁。そして魔球。
大リーグボール養成ギブスなどの表現は、現代では「児童虐待にあたる」として批判の嵐にさらされるだろう。

この作品の肝は「父子関係」にある。矢吹丈や伊達直人がそうであるように、当時のスポーツ漫画のヒーローはファミリーレス、「天涯孤独」という設定が多かった。
高度経済成長と昭和元禄の最中、勃興してきた「マイホーム主義」に対し、それに反発する軍隊帰りの頑固親父たちが当時はまだリアルに存在していた。

「褒めて伸ばす?そんな生ぬるいことで男が生きていけるかっ!試練と逆境の嵐が人生には待っているのだ!その厳しさを体現するのが父親だ!」

この考えは『巨人の星』を読んで(観て)育ってきた男親たちに、今も根深く残っている。そしてそんな父たちは、いつの日か息子が自分を乗り越え、果たせなかった夢をかなえていくことを心の奥底で望んでいるのだ。

ただ、私の父親はそんなスパルタ主義とは真逆の人だったが・・・
(つづく)

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