極私的野球漫画史 第3章 「白球は銀河の彼方へ」

 1968年はなにか騒然とした年だった。
 この年の4月に私は小学校に入学したのだが、7月に「日本の少年マンガ史上」に大きな出来事が起きる。
「少年ジャンプ」の創刊である(当初は隔週刊、翌年10月から週刊)。

 創刊号に掲載されていた野球漫画は『父の魂』(貝塚ひろし)。
 有名作家は「マガジン」「サンデー」に連載を抱えていたため、新人作家がほとんどで、『ハレンチ学園』(永井豪)『男一匹ガキ大将』(本宮ひろし)などが創刊号を飾っていたのを記憶している。

元野球選手でバット職人の父・南城丈太郎が、絶命寸前に息子・隼人のために「父の魂」と刻まれたバットを作り、そのバットとともに主人公が成長していくというストーリーは、いかんせん地味だった。
 バットにつけられた鈴が物語の山場で「チリーン!」となるのだが、「努力」「友情」「勝利」というジャンプの三大編集方針ともあまり関係ない。

 この年秋のドラフトは大豊作の年として知られる。田淵幸一、山本浩二、富田勝、星野仙一、大島康徳、山田久志、加藤秀司、福本豊、東尾修らがプロ入りを果たしている。
 また12月にはアポロ8号が人類初の有人月周回ミッションを行い、翌年7月21日、アポロ11号が月面に着陸した。夏休み初日の夜遅く、子どもも大人もテレビ中継をしがみつくように観た。

 夏の選手権では三沢高校松山商業決勝戦で延長18回引き分け再試合を行い、太田幸司が「元祖・甲子園のアイドル」となる。
 非常に印象に残ってる。小学校2年生の夏休み。

 物語の上で星飛雄馬が甲子園に出場したのが1968年の夏。
巨人入り後、投手として1軍で実働したのが1969年~70年だ。
虚構と現実が交錯し、野球漫画は最初のピークを迎えていた。
しかし流石に長嶋茂雄も徐々に衰えを見せ、常勝巨人にもマンネリ感が漂ってくる。

 そんな中、『巨人の星』の連載を終えた梶原一騎の原作で「週刊少年ジャンプ」に連載が始まったのが『侍ジャイアンツ』だ。
アンチジャイアンツながら、「シャチがクジラの腹の中を食い破って云々」という、こじつけ感満載の設定で登場した主人公・番場蛮が駆使するのは、「ハイジャンプ魔球」「大回転魔球」という、どう考えてもボーク投法による魔球。球はニュートン力学に比較的従っていたが、番場蛮の動きがそうではなかった。そもそもルール違反だし
しかし、新参者ジャンプの編集者が梶原一騎に文句を言えるわけがない。

 さらに、漫画では、ジャンプ伝統のバタバタとした突然の最終回、中日との天王山で分身魔球を投げすぎた番場蛮はマウンド上で絶命してしまう。
分身魔球は、当時梶原が「マガジン」で連載していた『空手バカ一代』のアイディアが交錯していると思うが、星飛雄馬の投手生命を絶った梶原は、次の一手としてもう主人公の命を奪うしかなかったのであろう(アニメの方では死んでません)。

 とにかく過剰なエネルギーにあふれた時代背景もあって、「野球漫画」のエスカレーションはとどまるところを知らない。

 1971年10月から半年間(つまりプロ野球中継のオフ期間)放映された『アパッチ野球軍』は、原作・花登筺。代表作の『細うで繁盛記』、『どてらい男』、『あかんたれ』、『ぬかるみの女』(いずれも母といっしょに毎回テレビ放送を見てました)の並びに『アパッチ野球軍』があるというのがまずすごい。

 最終回では、スコアボードによじ登ったモンキーが見事大飛球をキャッチ!アウト!甲子園出場決定?ところが私塾で高野連未加盟のため出場できず!そもそもホームランやろ!?

 作品中に多用される「放送禁止用語」によって再放送が難しく若い世代には「幻の作品」かもしれないが、「俺たちゃ裸がユニフォーム♪」という主題歌は耳にした方も多いだろう。まさに迷作であり名作である。

 この流れにトドメを刺したのが、1971年秋から「週刊少年ジャンプ」で連載を開始した『アストロ球団』である。
 この作品について多くは触れない。語り出すと1章に3年くらいかかってしまう・・・ので。連載終了は1976年。

 たとえば「レース中に事故で死亡したアストロ超人の1人伊集院球三郎の遺体を高度5000メートルの上空からパラシュート降下させ奇跡的に蘇生」などというストーリーを果たして野球漫画の範疇に入れて良いのか?川上哲治や金田正一率いるロッテオリオンズとの戦いを「現実と虚構を織り交ぜた」などという生ぬるい表現で記して良いのか?ジャコビニ流星打法コホーテク彗星打法を「当時天文ブームだったんだよね」の一言で片づけて良いのか?

 私が主学校4年生から中学校3年になるまでの6年間かけて、やった試合は2試合。スコアは17対16と、19対18。「ルーズヴェルトゲーム」どころの話ではない。
(むしろ、ルーズなゲーム)

 だが、この間、発行部数100万部を突破した「週刊少年ジャンプ」は、1973年、「マガジン」を抜いてついに王者の座に躍り出る。

(つづく)

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